090-1642-6920
〒003-0024 北海道札幌市白石区本郷通8丁目南2-8 2階
営業時間 / 19:00~26:00 定休日 / 日曜・月曜
妄想初夏の夜
すごく長い妄想です。本当に長いので気を付けて。読むのに10分以上かかるから。
――――――――――――――
札幌というのは広いのか狭いのか。
190万人が暮らし、それは全国で5番目の規模となり、福岡よりも大きい。
だが一度福岡に遊びに行ったときに思ったのは「札幌よりも街がでかい」という印象であった。
単に市町村区の人口だけで見れば札幌市は確かに大きな街なのだが、その周囲には意外に人口は少ない。また北海道のもつ広大な土地は、そこに住む人間の趣向を一戸建てに集約してしまい、マンションの林立による人口集積が進まなかった。
そのため札幌の中心部以外での飲み屋街というのはその人口に比較して少なく、数えられるだけしかない。
それに対して福岡市は域内あるいは商圏として北九州市や九州全般あるいは本州からも人の動きがあり、実際に住んでいる人間をはるかに上回る数が行き来している。これが街の活気につながっているのであろう。
私が生まれたのは、そんな札幌でも田舎に位置する東区のさらに外れだ。周囲には一戸建てしかなく、空が広い。手稲山から下りてくる風が家の中を通り、夏でも天気予報の言う気温よりは涼しく感じる。その分冬の積雪量は札幌の平均値の1.5倍になるような土地だ。
道も広い。開拓期以来土地を持て余してきた痕跡が多くある。小学生のころ、転校生が来た。彼が引っ越してきたのは小学生の認知できる範囲の世界でほとんど唯一のマンションであった。すかさず野次馬のように彼の家を友人と訪ねることにした。
我々はそこで歓声をあげることになる。
「すげぇ、エレベーターついてる!」
感動のままに玄関を開けて中に入り、転校生の部屋に通される。室内の漫画やゲームを一通り物色した後に誰かが言った。
「お前んち、2階ないの?」
「ないよ。マンションだから」
「え、マンションって2階ないの?」
東の外れの田舎に住む小学生にとって、家とは2階建てであるべきものだった。
大学を卒業し、社会人も8年目になったいま、1LDKに一人で暮らしている。住んでいる東札幌は東区とは異なってマンションやアパートが多く、道も狭い。街に圧迫感があり、なにかにつけて急かされている気持ちになる。飲食店の数も東区に比べると格段に多く、その点では男の一人暮らしには絶好な環境なのだが、逆をいうと常に何かを選び続けなければならない土地であった。
東区と東札幌、二か所の位置関係は札幌の街の地図をテレビ塔を中心にして折ったらほぼ同じ点に重なる。そういった部分においても生まれた場所とはすべてにおいて真逆な地域だった。
2階建ての家に住む予定は、この先の10年を見据えてもなさそうだ。手元に入ったお金をすべて飲み代として放出している。
「そうでもしないとサービス残業なんてやってられないんですよ。今月だって80時間の残業っすよ。それで買い物して家に帰って飯作って寝てさ。それって何時になるの。だったら飲みに出て疲れを癒した方が健康的なわけですよ」
「本当なら残業代もらえるはずなのに、こうして飲んでさ、マイナスでしょ」
そうやって笑う店主に「それで、そんな不幸な貧乏人からお金を巻き上げるのがあなたの仕事でしょう」と嫌味を飛ばす。
いつもなら仕事終わりに飲みに行くのは家の近くの居酒屋か、あるいは女性が1人で営むダイニングバーなのだが、今日は金曜日だったので久しぶりにすすきのに出てきたのだった。
関東以北最大の歓楽街にある有象無象の店を知り尽くすのは不可能に近い。
それぞれのビルのそれぞれの階のそれぞれの扉、中をうかがい知ることはできない扉一つ一つにその店の世界があり、その世界は店主を中心に常連が衛星となり惑星となり宇宙を形成している。すすきのというのは、そういった小宇宙が集まった銀河のようなものだ。
銀河の中の無数の宇宙に飛び込む勇気は私にはない。
結局のところ行きつけなんて5軒に満たず、いつもの景色を求めて足早に人ごみをかき分けるのみであった。それでも5つ分の宇宙を知っていることになるのだろうか。
いま私が飲んでいる店は大学生の時に付き合った人から教えてもらった。出会ったとき、彼女は専門学校を卒業して2年目だった。
私は彼女と出会うまでの人生において、大学に通う以外は東区の奥地から出ることはなかった。飲み会は「いろはにほへと」で十分だったし、酒はできる限り安く飲みたいと考えていた。
そんな私にとって、この店を紹介されたときは素直に驚き、感動したものだった。世の中にこんなハイセンスな店があるとは知らなかった。お上りさんになったような気持ちになった。そこは、看板がない。
なにも飾り気のない板の扉を引くと、その瞬間に風船が破裂したような活気が東区の田舎者に襲い掛かってきた。それから9年が経ち、その彼女とは別れてしまったが、私はこの店の常連として居座っている。この活気の一部になり、初めてきた田舎者を圧倒していると心で遊びながら飲むのが好きだった。
「はい、葉わさびとミノ刺しね」
店主が明るい声を張り上げながら卓においてくれた。この店がこれほどに繁盛しているのはご飯が美味しいことはもちろんとして、この店主の人柄によるものも大きい。週末ということもあるだろうが、今日だって23時を目前にしても満席だ。それほどの繁盛店にも関わらず、数カ月に1度の頻度でしか顔を出さない私の名前を覚えてくれている。この店主の記憶の中には何千人の顔と名前が入っているのだろうか。
出てきた料理をつまみながら、ビールを飲んだ。おかわりしたビールが半分に差し掛かるころにレバテキが届いたので芋焼酎のロックに切り替えた。
一人で飲み食いするのは、楽しい。食べるペースも飲むペースも誰にも指摘されないし、食べ方も怒られることもない。私は複数品が卓にあるとそれぞれを少しずつ食べ進めていく癖があった。
ミノ刺しを一切れ食べ、芋焼酎を飲み、レバテキを食べ、芋焼酎を飲む。最後に葉わさびで口の中をきれいにして芋焼酎を飲む。これを繰り返すのが好きなのだ。
ただ、その繰り返しの中に不定期にタバコを挟んだ。
タバコを吸って、時間をとる。こうすることで冷静になり、一人でいることを楽しめることになる。
「ねぇ、タバコ、一本分けてくれない?」
隣に座る女性からの声だった。
話す間隔の空いた、低い声だった。しかし同時に優しさを感じる。
「あ、はい、これでよければ」
ほとんど反射に近い速さで私は返事をしていた。お願いされているはずなのに、命令されているように勝手に勘違いしてしまうような、不思議な声だった。
私がタバコを渡すと、彼女は横に置いたカバンからライターを取り出して火をつける。
最初の一口を大きく吸って吐き出す動作が印象的だ。
特段会話する気持ちにもならなかったので、私はタバコを咥えながら目の前に並んでいる焼酎の空き瓶を眺めつつ煙を吐いた。横目で女を見ると、私を同じ動作をしていた。
「いつもここで飲んでいるの?」
女が言葉を投げてくるが、それは焼酎の瓶に跳ね返ったものが私の元に届いたのだった。
「たまにですね。好きなので、この店」
「そう。ここ、好きなんだよね。でも一人で来れるようになるためには少し勇気が必要だったな」
「あぁ、女性ならなおさらかも知れませんね」
改めて女を見てみると、横顔が美しいなと思った。直線になって伸びている鼻と、その真下でぷくっと小さく盛り上がる上唇のバランスが印象的だった。私の視線に気付いたのか、女がこちらを見る。タバコの最後を吸い切り、灰皿に押し付けるのが力強かった。美人だなと関心した。
まぶたの弧が美しい眼の中には少しだけ残った少女の要素が混じっているが、それを跳ね除けようと抗っている。それがまた彼女の感情を読み取りにくくしていた。歳は私より下だろう。
「二軒目に行きたいの。どこかいい場所しらない?」
「君の行きつけに行けばいいと思いますよ。人の好みはそれぞれだから」
「一緒に行きたいな、そう思ったの。だから、『君の行きつけ』に誘ってほしいな」
「なんでタバコ一本渡しただけで君に付き合わないといけないの。僕は僕で勝手に飲んで、勝手に帰りますのでお構いなく」
私が言い終わると女は手を伸ばしてきて、卓上の私のタバコを奪い、吸いだす。失礼な女だと思う。
女は最初の一口をまた大きく吸い込んで吐くと、私の目を覗き込んできた。茶色がかった目は人の気持ちを読み取る機械のように感じられた。
「いつもの店で出会ったいつもとは違う人と、また違う二軒目のいつもの店に行くって楽しそうじゃない?その場合、次の店で異物なのは私だけかしら。
あなたも、いつものあなたではなくなる。そうしたらあなたも私と同じ異物ね。どう?」
「随分と文学的ですね。そうなると次の店に行って乾杯をしてグラスが触れ合った瞬間に僕たちは爆発してみせることになることが結末として求められているのかな」
「そうなるかどうかを確かめることに一日を生きた楽しみを集約するの」
彼女は、指に挟んでいたタバコを灰皿でまた力強く押しつぶす。そのままカウンターに肘をつき、顎を手に乗せてこちらを向いて言った。
「いいかもしれませんね」
「こう、『ばーーん!』って音が鳴るかも」
彼女は手を広げて大きな声を出し、無邪気に笑い出した。それは彼女の中で抑えられていた少女性が感情の間を縫って発露したようだった。こうやって理屈をこねないと彼女の中に隠した少女と彼女自身が出会えなくなってしまったのか。
「えくぼができるんだな。笑っていれば可愛いのにな」横で上半身を曲げて笑い続ける彼女に興味をもってしまった。
周りを気にしない動作にうらやましさすら感じた。店内の少しオレンジがかった照明の色のすべてが彼女の発するオーラのように思えた。
果たして乾杯の際に私たちは爆発せず、生き残った。
先の店を彼女と出て、36号線を豊平川方面に少し歩いた。金曜の終電間際ということも相まって、路肩にはタクシーが多く並んでいた。時折二重列になっていることもあった。
創成川を越えて少し歩けばすすきのの喧騒からは抜け出して独特の淫靡な時間が流れ出す。豊平川のすぐ手前、客待ちタクシーがいる限界地点にあるたこ焼きの店に来たのだった。
店内は混んでおり、外の簡易的な席に通された。店内に空き席があったところで、ここに座ろうと決めていたからちょうどよかった。気温は夏用のジャケットを羽織るくらいでちょうどよく、時折ほほに当たる湿気を帯びた風からはこれから始まる夏を予感させる香りがした。
自らから発されるアルコールの匂いも相まって、少年のころの純粋さと、学生時代の失敗が一緒になって発酵したような香りだった。しかし嫌いなものではない。この香りに背を向けることになった時、人は自分のもつ青春に決別するのだろう。
なによりこの席はもしも私たちが爆発したとしても被害は最小限で済みそうだった。
「爆発しないじゃん」
ハイボールを大きく一口飲んで、彼女は残念そうに言った。
「おかげで知らないおじさんと一緒に死ななくて済んだね。こうやって初対面の人と二軒目に行くのは趣味なの?」
「初めてだよ。なんだか面白そうって思ったの。他人の場所に、こう、ぶしつけに入り込むっていうのかな、他人の場所というのはその人の景色でしょ?それを私が見るのと同時に、その人が見るのはいつもの景色ではなくて、目の前に私がいる。
私も、その人も、まぁあなただけど、方向のまじりあわない『知らない景色』を同時に見ることになる。その状況を楽しめるのって、あなたなのかなって直感してね」
言い終わると、彼女は卓上に置いた私のタバコを手にする。残りの3本を手にすると、折った。
「さすがにそれはやりすぎだ」
これまではあまりにタバコの似合わない顔が内心面白くて分けてあげていたが、さすがに失礼が過ぎる。
「だったら、これからはこれを吸えばいいよ。私のタバコ」
不機嫌が隠せない私の顔は彼女には見えていないようだった。彼女は目を細め、口角を上げながら笑う。
垂れ下がった目尻にすべてを赦してしまいそうになる。子供に対して八つ当たりしているような罪悪感さえ抱いてしまいそうになる。
カバンから取り出したのは、ほとんど吸われていないタバコだった。
「自分のをもっているなら自分のを吸えばよかったのに。人のを奪って、しまいには折って何が楽しいんだ」
「人の味って、あるでしょ。あなたのタバコは、あなたの味。私はあなたを味わってみたの。次はあなたが私の味を知る番かなぁ、って。二つの味は共存しないで、どちらかだけを楽しむの。どう、それも楽しいと思うの。
もう一つ言うと、いつもの店だけど目の前に私がいる。そしていつもの店なのにいつものタバコじゃない。これもまた『知らない景色』になるんじゃない?」
彼女は笑顔のまま、えくぼを作ったまま私の口のすぐ前にタバコを差し出す。
「特別に火もつけてあげるわ」
「いや、それくらいは自分でやるよ」
私は卓上から自分のタバコを手に取り、火をつけた。
一息吸うと、軽くて甘い味がし、吐いた煙の香りはその味の軽さとは違って鼻の壁にこびりつき、嗅覚の神経を伝って刺激を与えてくる。煙は私の身体にまとわりついて離れない。煙に犯されているみたいだ。
「どう?それが、私の、味」
私を覗き込む彼女の顔は、その白さから夜の闇にも負けずに光って見える。そこに街灯のオレンジ色や36号線を北広島方面に走る車のヘッドライトの白、たこ焼き屋から漏れる赤色が万華鏡のように入れ替わり立ち代わり反射していた。
「悪くないんじゃない?わりと好きだよ」
彼女を見る。きれいな顔をしていた。この女のことを好きになっている。素直にそう思えた。
名前も知らない女だ。ぶしつけな女でもある。おそらく年下であろう。彼女に声をかけられてから数時間が経っている。そろそろ素直になってもいい頃なのだろう。
なにより、彼女の落ち着いた声と、間の置いた話し方の前では、その放たれる単語一つ一つが私に届くたびに幾ばくかの人生を渡る間に身に着けた鎧が一枚ずつ外されていく感覚になってしまう。
いま、私は私に正直になった、彼女を認めたということは、もう、私が着ていた鎧の一切が彼女によって脱がされてしまったのであろう。
この時間が続けばいい、この女のペースに任せて空が白むまでここにいたい。
初夏の夜に発散していくアルコールの分だけ口からまた摂取して、同じ酔い方を続けたい。
「来週の金曜日、南郷7丁目から少し歩いたところ、本郷商店街っていうのがあるんだけど、私はそこで飲んでいるわ」
彼女が言う。テーブルに肘をついて、手を顎に当てている。このポーズは癖なのだろう。
「オレは東札幌に住んでいるから、その辺のことはなんとなくわかるよ。飲みにいったことはないけど」
「あら、そうなの。その商店街の中のどこかに、2階に上がる階段があって、バーがあるの。そこにいるわ」
「なんて名前の店?」
「それは言わないわ。金曜日になって、あなたは『ここかな?』『ここではないのか?』という不安を抱きながら商店街中に存在する階段を観察して、私の気配を感じようと神経をすり減らすの。私が何時から飲んで、何時に帰るかも、秘密。あなたを待って開店からずっといるかもしれないし、どこかの30分だけかもしれない。
あなたは私のことを思って開店すると思われる時間に来るかもしれない。私はあなたのことを考えて23時に行くかもしれない。その時にはあなたは待ちくたびれてもういないかもね。
お互いがお互いを考えて、すれ違うことになってもそれは仕方ないことだと思うわ。自分自身の都合だけ考えたときに出会えるかもしれない。それは私が望む結末でなないけど。
どう行動するかはそれぞれの心が決めて、決めた瞬間に未来は固定されるの。でもその固定された未来を私たちが確認するには、その未来の瞬間にいくしかない。
その瞬間までの時間は不毛なものかしら、有意義なものかしら。もしかしたら、未来が固定されているとしても、その未来までの時間をどう捉えて楽しむかが人生の豊かさなのかもしれないね」
「随分と酷な待ち合わせだな。次はオレが君のいつもの景色に入りこむわけね。でも、オレはまだそもそも金曜日にそこに行くとも言ってないよ」
「それならそれで、あなたは待ちぼうけする私を想像して楽しんでいいわ。愚かな女がいたもんだ、と。でも、もしかしたら、私もその店に行かないかもしれない。その時、私はあなたが待ちぼうけする姿を想像して楽しむわ。私は、あなたは、次の金曜日にどう行動するのかな」
彼女は手に乗せた顎を傾けて言った。その頬に触れたいと思った。まっすぐ伸びた鼻筋をなぞりたくもなったが、我慢した。
「じゃあ、金曜日に。はたして私たちは会えるのか、乞うご期待‼」
ニコっと少女のように笑って彼女は立ち上がり、すぐ横の車道に停まっていたタクシーに乗り込んだ。
―――――――――――
女は吉岡里帆でした。声、いいよね。大好き。いや、なにもかも好きなんだけど。
僕はいつだって女性の掌の上でブレイクダンスしたいのです。
妄想終わり。
ちなみに約7000文字あります。ワードにしてまるまる8ページ。長いぜ。
ここまで読み切ったあなたに拍手‼‼‼‼
◆◇————————————————————◇◆ ペダルバル 電話番号:090-1642-6920 〒003-0024 北海道札幌市白石区本郷通8丁目南2-8 2階 営業時間 / 19:00~26:00 定休日 / 日曜・月曜 ◆◇————————————————————◇◆
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24/06/26
24/06/06
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すごく長い妄想です。本当に長いので気を付けて。読むのに10分以上かかるから。
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札幌というのは広いのか狭いのか。
190万人が暮らし、それは全国で5番目の規模となり、福岡よりも大きい。
だが一度福岡に遊びに行ったときに思ったのは「札幌よりも街がでかい」という印象であった。
単に市町村区の人口だけで見れば札幌市は確かに大きな街なのだが、その周囲には意外に人口は少ない。また北海道のもつ広大な土地は、そこに住む人間の趣向を一戸建てに集約してしまい、マンションの林立による人口集積が進まなかった。
そのため札幌の中心部以外での飲み屋街というのはその人口に比較して少なく、数えられるだけしかない。
それに対して福岡市は域内あるいは商圏として北九州市や九州全般あるいは本州からも人の動きがあり、実際に住んでいる人間をはるかに上回る数が行き来している。これが街の活気につながっているのであろう。
私が生まれたのは、そんな札幌でも田舎に位置する東区のさらに外れだ。周囲には一戸建てしかなく、空が広い。手稲山から下りてくる風が家の中を通り、夏でも天気予報の言う気温よりは涼しく感じる。その分冬の積雪量は札幌の平均値の1.5倍になるような土地だ。
道も広い。開拓期以来土地を持て余してきた痕跡が多くある。小学生のころ、転校生が来た。彼が引っ越してきたのは小学生の認知できる範囲の世界でほとんど唯一のマンションであった。すかさず野次馬のように彼の家を友人と訪ねることにした。
我々はそこで歓声をあげることになる。
「すげぇ、エレベーターついてる!」
感動のままに玄関を開けて中に入り、転校生の部屋に通される。室内の漫画やゲームを一通り物色した後に誰かが言った。
「お前んち、2階ないの?」
「ないよ。マンションだから」
「え、マンションって2階ないの?」
東の外れの田舎に住む小学生にとって、家とは2階建てであるべきものだった。
大学を卒業し、社会人も8年目になったいま、1LDKに一人で暮らしている。住んでいる東札幌は東区とは異なってマンションやアパートが多く、道も狭い。街に圧迫感があり、なにかにつけて急かされている気持ちになる。飲食店の数も東区に比べると格段に多く、その点では男の一人暮らしには絶好な環境なのだが、逆をいうと常に何かを選び続けなければならない土地であった。
東区と東札幌、二か所の位置関係は札幌の街の地図をテレビ塔を中心にして折ったらほぼ同じ点に重なる。そういった部分においても生まれた場所とはすべてにおいて真逆な地域だった。
2階建ての家に住む予定は、この先の10年を見据えてもなさそうだ。手元に入ったお金をすべて飲み代として放出している。
「そうでもしないとサービス残業なんてやってられないんですよ。今月だって80時間の残業っすよ。それで買い物して家に帰って飯作って寝てさ。それって何時になるの。だったら飲みに出て疲れを癒した方が健康的なわけですよ」
「本当なら残業代もらえるはずなのに、こうして飲んでさ、マイナスでしょ」
そうやって笑う店主に「それで、そんな不幸な貧乏人からお金を巻き上げるのがあなたの仕事でしょう」と嫌味を飛ばす。
いつもなら仕事終わりに飲みに行くのは家の近くの居酒屋か、あるいは女性が1人で営むダイニングバーなのだが、今日は金曜日だったので久しぶりにすすきのに出てきたのだった。
関東以北最大の歓楽街にある有象無象の店を知り尽くすのは不可能に近い。
それぞれのビルのそれぞれの階のそれぞれの扉、中をうかがい知ることはできない扉一つ一つにその店の世界があり、その世界は店主を中心に常連が衛星となり惑星となり宇宙を形成している。すすきのというのは、そういった小宇宙が集まった銀河のようなものだ。
銀河の中の無数の宇宙に飛び込む勇気は私にはない。
結局のところ行きつけなんて5軒に満たず、いつもの景色を求めて足早に人ごみをかき分けるのみであった。それでも5つ分の宇宙を知っていることになるのだろうか。
いま私が飲んでいる店は大学生の時に付き合った人から教えてもらった。出会ったとき、彼女は専門学校を卒業して2年目だった。
私は彼女と出会うまでの人生において、大学に通う以外は東区の奥地から出ることはなかった。飲み会は「いろはにほへと」で十分だったし、酒はできる限り安く飲みたいと考えていた。
そんな私にとって、この店を紹介されたときは素直に驚き、感動したものだった。世の中にこんなハイセンスな店があるとは知らなかった。お上りさんになったような気持ちになった。そこは、看板がない。
なにも飾り気のない板の扉を引くと、その瞬間に風船が破裂したような活気が東区の田舎者に襲い掛かってきた。それから9年が経ち、その彼女とは別れてしまったが、私はこの店の常連として居座っている。この活気の一部になり、初めてきた田舎者を圧倒していると心で遊びながら飲むのが好きだった。
「はい、葉わさびとミノ刺しね」
店主が明るい声を張り上げながら卓においてくれた。この店がこれほどに繁盛しているのはご飯が美味しいことはもちろんとして、この店主の人柄によるものも大きい。週末ということもあるだろうが、今日だって23時を目前にしても満席だ。それほどの繁盛店にも関わらず、数カ月に1度の頻度でしか顔を出さない私の名前を覚えてくれている。この店主の記憶の中には何千人の顔と名前が入っているのだろうか。
出てきた料理をつまみながら、ビールを飲んだ。おかわりしたビールが半分に差し掛かるころにレバテキが届いたので芋焼酎のロックに切り替えた。
一人で飲み食いするのは、楽しい。食べるペースも飲むペースも誰にも指摘されないし、食べ方も怒られることもない。私は複数品が卓にあるとそれぞれを少しずつ食べ進めていく癖があった。
ミノ刺しを一切れ食べ、芋焼酎を飲み、レバテキを食べ、芋焼酎を飲む。最後に葉わさびで口の中をきれいにして芋焼酎を飲む。これを繰り返すのが好きなのだ。
ただ、その繰り返しの中に不定期にタバコを挟んだ。
タバコを吸って、時間をとる。こうすることで冷静になり、一人でいることを楽しめることになる。
「ねぇ、タバコ、一本分けてくれない?」
隣に座る女性からの声だった。
話す間隔の空いた、低い声だった。しかし同時に優しさを感じる。
「あ、はい、これでよければ」
ほとんど反射に近い速さで私は返事をしていた。お願いされているはずなのに、命令されているように勝手に勘違いしてしまうような、不思議な声だった。
私がタバコを渡すと、彼女は横に置いたカバンからライターを取り出して火をつける。
最初の一口を大きく吸って吐き出す動作が印象的だ。
特段会話する気持ちにもならなかったので、私はタバコを咥えながら目の前に並んでいる焼酎の空き瓶を眺めつつ煙を吐いた。横目で女を見ると、私を同じ動作をしていた。
「いつもここで飲んでいるの?」
女が言葉を投げてくるが、それは焼酎の瓶に跳ね返ったものが私の元に届いたのだった。
「たまにですね。好きなので、この店」
「そう。ここ、好きなんだよね。でも一人で来れるようになるためには少し勇気が必要だったな」
「あぁ、女性ならなおさらかも知れませんね」
改めて女を見てみると、横顔が美しいなと思った。直線になって伸びている鼻と、その真下でぷくっと小さく盛り上がる上唇のバランスが印象的だった。私の視線に気付いたのか、女がこちらを見る。タバコの最後を吸い切り、灰皿に押し付けるのが力強かった。美人だなと関心した。
まぶたの弧が美しい眼の中には少しだけ残った少女の要素が混じっているが、それを跳ね除けようと抗っている。それがまた彼女の感情を読み取りにくくしていた。歳は私より下だろう。
「二軒目に行きたいの。どこかいい場所しらない?」
「君の行きつけに行けばいいと思いますよ。人の好みはそれぞれだから」
「一緒に行きたいな、そう思ったの。だから、『君の行きつけ』に誘ってほしいな」
「なんでタバコ一本渡しただけで君に付き合わないといけないの。僕は僕で勝手に飲んで、勝手に帰りますのでお構いなく」
私が言い終わると女は手を伸ばしてきて、卓上の私のタバコを奪い、吸いだす。失礼な女だと思う。
女は最初の一口をまた大きく吸い込んで吐くと、私の目を覗き込んできた。茶色がかった目は人の気持ちを読み取る機械のように感じられた。
「いつもの店で出会ったいつもとは違う人と、また違う二軒目のいつもの店に行くって楽しそうじゃない?その場合、次の店で異物なのは私だけかしら。
あなたも、いつものあなたではなくなる。そうしたらあなたも私と同じ異物ね。どう?」
「随分と文学的ですね。そうなると次の店に行って乾杯をしてグラスが触れ合った瞬間に僕たちは爆発してみせることになることが結末として求められているのかな」
「そうなるかどうかを確かめることに一日を生きた楽しみを集約するの」
彼女は、指に挟んでいたタバコを灰皿でまた力強く押しつぶす。そのままカウンターに肘をつき、顎を手に乗せてこちらを向いて言った。
「いいかもしれませんね」
「こう、『ばーーん!』って音が鳴るかも」
彼女は手を広げて大きな声を出し、無邪気に笑い出した。それは彼女の中で抑えられていた少女性が感情の間を縫って発露したようだった。こうやって理屈をこねないと彼女の中に隠した少女と彼女自身が出会えなくなってしまったのか。
「えくぼができるんだな。笑っていれば可愛いのにな」横で上半身を曲げて笑い続ける彼女に興味をもってしまった。
周りを気にしない動作にうらやましさすら感じた。店内の少しオレンジがかった照明の色のすべてが彼女の発するオーラのように思えた。
果たして乾杯の際に私たちは爆発せず、生き残った。
先の店を彼女と出て、36号線を豊平川方面に少し歩いた。金曜の終電間際ということも相まって、路肩にはタクシーが多く並んでいた。時折二重列になっていることもあった。
創成川を越えて少し歩けばすすきのの喧騒からは抜け出して独特の淫靡な時間が流れ出す。豊平川のすぐ手前、客待ちタクシーがいる限界地点にあるたこ焼きの店に来たのだった。
店内は混んでおり、外の簡易的な席に通された。店内に空き席があったところで、ここに座ろうと決めていたからちょうどよかった。気温は夏用のジャケットを羽織るくらいでちょうどよく、時折ほほに当たる湿気を帯びた風からはこれから始まる夏を予感させる香りがした。
自らから発されるアルコールの匂いも相まって、少年のころの純粋さと、学生時代の失敗が一緒になって発酵したような香りだった。しかし嫌いなものではない。この香りに背を向けることになった時、人は自分のもつ青春に決別するのだろう。
なによりこの席はもしも私たちが爆発したとしても被害は最小限で済みそうだった。
「爆発しないじゃん」
ハイボールを大きく一口飲んで、彼女は残念そうに言った。
「おかげで知らないおじさんと一緒に死ななくて済んだね。こうやって初対面の人と二軒目に行くのは趣味なの?」
「初めてだよ。なんだか面白そうって思ったの。他人の場所に、こう、ぶしつけに入り込むっていうのかな、他人の場所というのはその人の景色でしょ?それを私が見るのと同時に、その人が見るのはいつもの景色ではなくて、目の前に私がいる。
私も、その人も、まぁあなただけど、方向のまじりあわない『知らない景色』を同時に見ることになる。その状況を楽しめるのって、あなたなのかなって直感してね」
言い終わると、彼女は卓上に置いた私のタバコを手にする。残りの3本を手にすると、折った。
「さすがにそれはやりすぎだ」
これまではあまりにタバコの似合わない顔が内心面白くて分けてあげていたが、さすがに失礼が過ぎる。
「だったら、これからはこれを吸えばいいよ。私のタバコ」
不機嫌が隠せない私の顔は彼女には見えていないようだった。彼女は目を細め、口角を上げながら笑う。
垂れ下がった目尻にすべてを赦してしまいそうになる。子供に対して八つ当たりしているような罪悪感さえ抱いてしまいそうになる。
カバンから取り出したのは、ほとんど吸われていないタバコだった。
「自分のをもっているなら自分のを吸えばよかったのに。人のを奪って、しまいには折って何が楽しいんだ」
「人の味って、あるでしょ。あなたのタバコは、あなたの味。私はあなたを味わってみたの。次はあなたが私の味を知る番かなぁ、って。二つの味は共存しないで、どちらかだけを楽しむの。どう、それも楽しいと思うの。
もう一つ言うと、いつもの店だけど目の前に私がいる。そしていつもの店なのにいつものタバコじゃない。これもまた『知らない景色』になるんじゃない?」
彼女は笑顔のまま、えくぼを作ったまま私の口のすぐ前にタバコを差し出す。
「特別に火もつけてあげるわ」
「いや、それくらいは自分でやるよ」
私は卓上から自分のタバコを手に取り、火をつけた。
一息吸うと、軽くて甘い味がし、吐いた煙の香りはその味の軽さとは違って鼻の壁にこびりつき、嗅覚の神経を伝って刺激を与えてくる。煙は私の身体にまとわりついて離れない。煙に犯されているみたいだ。
「どう?それが、私の、味」
私を覗き込む彼女の顔は、その白さから夜の闇にも負けずに光って見える。そこに街灯のオレンジ色や36号線を北広島方面に走る車のヘッドライトの白、たこ焼き屋から漏れる赤色が万華鏡のように入れ替わり立ち代わり反射していた。
「悪くないんじゃない?わりと好きだよ」
彼女を見る。きれいな顔をしていた。この女のことを好きになっている。素直にそう思えた。
名前も知らない女だ。ぶしつけな女でもある。おそらく年下であろう。彼女に声をかけられてから数時間が経っている。そろそろ素直になってもいい頃なのだろう。
なにより、彼女の落ち着いた声と、間の置いた話し方の前では、その放たれる単語一つ一つが私に届くたびに幾ばくかの人生を渡る間に身に着けた鎧が一枚ずつ外されていく感覚になってしまう。
いま、私は私に正直になった、彼女を認めたということは、もう、私が着ていた鎧の一切が彼女によって脱がされてしまったのであろう。
この時間が続けばいい、この女のペースに任せて空が白むまでここにいたい。
初夏の夜に発散していくアルコールの分だけ口からまた摂取して、同じ酔い方を続けたい。
「来週の金曜日、南郷7丁目から少し歩いたところ、本郷商店街っていうのがあるんだけど、私はそこで飲んでいるわ」
彼女が言う。テーブルに肘をついて、手を顎に当てている。このポーズは癖なのだろう。
「オレは東札幌に住んでいるから、その辺のことはなんとなくわかるよ。飲みにいったことはないけど」
「あら、そうなの。その商店街の中のどこかに、2階に上がる階段があって、バーがあるの。そこにいるわ」
「なんて名前の店?」
「それは言わないわ。金曜日になって、あなたは『ここかな?』『ここではないのか?』という不安を抱きながら商店街中に存在する階段を観察して、私の気配を感じようと神経をすり減らすの。私が何時から飲んで、何時に帰るかも、秘密。あなたを待って開店からずっといるかもしれないし、どこかの30分だけかもしれない。
あなたは私のことを思って開店すると思われる時間に来るかもしれない。私はあなたのことを考えて23時に行くかもしれない。その時にはあなたは待ちくたびれてもういないかもね。
お互いがお互いを考えて、すれ違うことになってもそれは仕方ないことだと思うわ。自分自身の都合だけ考えたときに出会えるかもしれない。それは私が望む結末でなないけど。
どう行動するかはそれぞれの心が決めて、決めた瞬間に未来は固定されるの。でもその固定された未来を私たちが確認するには、その未来の瞬間にいくしかない。
その瞬間までの時間は不毛なものかしら、有意義なものかしら。もしかしたら、未来が固定されているとしても、その未来までの時間をどう捉えて楽しむかが人生の豊かさなのかもしれないね」
「随分と酷な待ち合わせだな。次はオレが君のいつもの景色に入りこむわけね。でも、オレはまだそもそも金曜日にそこに行くとも言ってないよ」
「それならそれで、あなたは待ちぼうけする私を想像して楽しんでいいわ。愚かな女がいたもんだ、と。でも、もしかしたら、私もその店に行かないかもしれない。その時、私はあなたが待ちぼうけする姿を想像して楽しむわ。私は、あなたは、次の金曜日にどう行動するのかな」
彼女は手に乗せた顎を傾けて言った。その頬に触れたいと思った。まっすぐ伸びた鼻筋をなぞりたくもなったが、我慢した。
「じゃあ、金曜日に。はたして私たちは会えるのか、乞うご期待‼」
ニコっと少女のように笑って彼女は立ち上がり、すぐ横の車道に停まっていたタクシーに乗り込んだ。
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女は吉岡里帆でした。声、いいよね。大好き。いや、なにもかも好きなんだけど。
僕はいつだって女性の掌の上でブレイクダンスしたいのです。
妄想終わり。
ちなみに約7000文字あります。ワードにしてまるまる8ページ。長いぜ。
ここまで読み切ったあなたに拍手‼‼‼‼
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ペダルバル
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